レッスンで、私はいつも直されている。
頭の位置、そこじゃない。
足でプリエしないで、お腹からプリエして。
そう言われるたびに、ああ、まだ全然できていないな、と思う。でも、その直されている時間が、いまの私にはいちばん面白い。
足でプリエしないで、お腹から
最初は、言われている意味がうまく像を結ばなかった。プリエは膝を曲げる動きなのに、どうして「足でしないで」なのだろう、と。
けれど続けているうちに、少しずつ分かってくる感覚がある。足の指先から、手の指先、頭のてっぺんまでが、互いに引っ張り合うような——力んでいないのに、すっと伸びている、無理のない感覚。そういうとき、プリエは膝ではなく、たしかにお腹のあたりから始まっている気がする。
図らずも、マンツーマン
その日は、レッスンが私ひとりだった。
肩の位置。
足でプリエしているからバランスが取れない、上半身がおざなりになってしまう。
腕を引っ張って、頭とバランス取って。
股関節で床を踏んで。
一対一だと、言われる回数が違う。先生の集中も、私の集中も違う。
言われたことを念仏みたいにずっとブツブツ言い続けてしまって——そうしたら、「くいしばらないで、顎でバランス取ってるよ」。
上半身や背中が動いてしまうことで、ポアントのバランスも無理やりの力技になってしまう。
鏡でこんなに動いてしまっている自分を再確認すると、ちょっとめげてしまう。全然動かしてるつもりないからね……。しかも、ほぼ毎回指摘されているのに。
「どうしてできないんだろう、じゃなくて、どうしたらできるだろう、だよ」
先生が繰り返し仰る言葉。
先生はコンクールに出す生徒さんも指導されている人なので、本当に贅沢。最初から、さいごまで、贅沢時間。
発表会のためじゃない
たくさんの鍛錬も、練習も、発表会につながっているわけじゃない。少なくとも、いまの私の場合は。
上手になって、人前で踊りたい——そんな若い人たちの姿は、美しい。一緒にレッスンを受けている人が、どんどん上達していくのを見るのも、心から楽しい。
ただ、私自身はもう、それを目的にはしていない。ここ数年、膝や腰を故障することが増えてしまって、「上を目指す」よりも「長く続ける」ほうが、ずっと大切になったから。
何かのためじゃない。だからこそ、レッスンの一回いっかいが、それ自体で完結している——そう思えるようになった。
煮詰まって、気分が乗らないとき。そういうときほど、バレエは一番手っ取り早い気分転換になる。
飲み過ぎた翌日でさえ、ほぼほぼレッスンには行く。疲れて、汗をかいて、水を1リットル飲んだあとには、背筋がほぼシャンとして、いい気分で歩いて帰路についている。
ご飯も美味しいし、疲労感が最高のご馳走になる。
——ただし、終わったあとにラクロスボールでふくらはぎや腿をほぐしておかないと、翌日、筋肉がカチカチになってしまうのだけれど。
無になって、身体に尋ねる
私がやっているのは、無になって、ただ教えてもらっていることに、素直に反応しようとしているだけ。
難しいことのようだけれど、言葉だけを聞いているわけじゃない。先生の言葉の、その先にある自分の身体に、そっと尋ねているような感覚。「いまの、どうだった?」と。耳で聞いて、頭で考えて、ではなく、身体に直接きいてみる。バレエは、そういう静かな問いかけの時間でもある。
できなくなっていく、でも
高いジャンプ、軽いステップ、しなやかなアラベスク。
それらはきっと、これからもっとできなくなっていくと思う。年を重ねれば、跳べる高さも、伸びる角度も、少しずつ手放していくのだろう。
でも、と思う。
いくらでも、繊細にはなれると思う。
高く跳べなくても、動きのひとつひとつを、もっと丁寧に、もっと繊細にすることはできる。できなくなっていくものと、際限なく深められるもの。バレエには、その両方がある。だから私は、たぶんこれからも、直され続けながら踊っている。