私の大学4年間は、京都だった。
30年前のことだというのに、むせかえるような記憶が呼び覚まされる。楽しかったことも、そうでなかったことも、未熟な私がそこで生きていた。田舎から出てきて初めて一人暮らしをした土地で、アルバイトも、電車に乗ることも、バスに乗ることも、ほとんど京都で覚えたくらいだ。
イケてない女の子の物語
入学してすぐ、自転車を買った。学校にも、バイト先にも、どこへ行くにも自転車だった。
試験前は図書館に朝から籠もって、夕方になると学食でいちばん安い定食を食べた。バイト代が入った日だけ、四条の安い居酒屋で友人たちと騒いだ。
苦くて、愛おしくて、ちょっと悲しくて。イケてない女の子の物語は、語り尽くせない。
青春だなんて、あの頃は全く思っていなかった。
御所の緑の中で気づいたこと
卒業して京都を離れ、東京で就職した。10年くらい経ったころだったか、大阪への出張の途中で、京都に立ち寄ったことがある。
眩しい日差しの中で、御所の緑が美しい季節だった。
その景色の中でふいに思ったのは、両親のことだった。普通のサラリーマンだった父と、専業主婦だった母が、私を京都に送り出してくれた。さぞかし心配だったろうし、お金もかかった。しかも兄妹がほぼ同時期に、てんでバラバラな土地で大学生をやっているという——今考えると、恐ろしい話だ。
ありがたくて、切ない。でも当時の私は、そんな気持ちにさっぱり気づきもしない、わがまま放題の困った娘だった。
だから、母には普通に伝えた。「本当に有難いことでしたよ、京都に行かせてくれて」と。
卒業してからも、何度も
卒業してからも、京都へは何度も出かけた。
友人の結婚式、出張、美術館——油滴天目の公開に合わせてわざわざ日程を組んだこともある。数えたらきりがないくらい、足を運んできた。贅沢な話だと自分でも思う。
行くたびに、学生のころ走っていた道を少し遠回りして通ったりする。毎日自転車でこいでいた道、バイトしていたお店の跡地。今の自分がそこに立つと、30年分の時間がぎゅっと圧縮されるような感じがする。
お茶をやっている目で見る京都
学生のころは、お金もなかったし、精神的に余裕もなくて、茶道にも神社仏閣にも全く食指が動かなかった。
後悔先に立たず。
京都の行き先そのものが変わって、茶道具の催事がある折に出向いたり、茶室の公開に合せて足を運ぶようになった。
まずは裏千家の本山、今日庵。もちろん門の前で記念撮影。そのすぐ側にある、お道具屋のやましたさん。どちらも凄く有名だ。
歩いてすぐのところに、俵屋吉富の小川店がある。和菓子屋さんと喫茶「茶ろん たわらや」が一緒になっていて、ここも有名だ。
友人とお抹茶とお菓子をいただいたのが、凄くいい感じだった。私は寒かったので、お汁粉。お抹茶は、お代わりした。
大人になってから覚えた贅沢
いつのころからか、帰りの新幹線が楽しみになった。
京都駅に着くとすぐ、帰りの新幹線の時間を想定して、伊勢丹で和久傳のお弁当を予約する。それから2泊。旅の最初に、旅の最後の楽しみを仕込んでおくのだ。
帰りの新幹線では、友人たちと並んで席に座って、日本酒を開ける。窓の外に街が遠ざかっていくのを眺めながら、この二日間のことをゆっくり話す。
あのころの自分が見たら、どう思うだろう。少し笑うかもしれない。でもきっと、悪い気はしないと思う。
阿闍梨餅は外せない
京都から帰るとき、阿闍梨餅は必ず買う。もちっとした皮に、丹波大納言の餡。
大好きで、これだけは外せない。
最近は、関西へ出張する同僚が買ってきてくれるようになった(笑)。
近いうちに、また行くんじゃないかな。